善子「共に歩み、未来へ進む」

作者:nagichanlove
トクン、トクンと何かが脈打つのを感じる。
頬がほんのり温かみを感じて心地いいわ。
遠い昔にはいつもすぐ傍にあった懐かしい温もりを求め、微睡みの中でその無限の愛が詰まった存在へ顔を埋めたの。
表面こそぷよぷよ柔らかいものの、内側はしっかりとした硬さがありポヨンと弾き返される感触がクセになりそうだわ。

「んっ……ママぁっ──」
「ちょっ!? 善子ちゃんっ!?」

刹那、両の頬が何者かにがっしり掴まれてしまい、愛の塊から力ずくで引き離されそうになったの。
嫌よ、私はずっとこの温もりを享受していたいのにっ!

「いい加減起きるずらっ! マザコン堕天使の善子ちゃんっ!」
「んああっ!」

頬がグイッと強い力で押され、上半身が重力に負けてグラリと落ちてゆくの。その2秒後、私の背中はぽふっとマットレスに優しく受け止められたわ。
その衝撃で私津島善子の意識は、夢うつつから現し世へ舞い戻りました。
ただ眼前にはベージュ色の巨大な球形の物体があり、視界のほとんどが覆われているので実はまだ異空間の中に囚われているのかもしれないわね。

「何かしら、このまん丸したものは──」
「朝っぱらから変態さんずらね、善子ちゃんは」
「いいじゃないの。私とずら丸の仲なんだし」
「まあ、マル達もう夫婦だもんね」

球体の真上から栗色のふんわりヘアーをした存在が、目尻を下げて微笑んでみせたの。
ああ、これは「オッケー」ってことよね?

「じゃあ改めて失礼するわね、ずら丸。それと花善(かよ)」
「うん、いいよ」

両足をまっすぐ上げてから「えいっ」と真下へ振り下ろし、テコの原理を利用して上体を起こしたの。そしてそのまま慣性の法則に任せ、ずら丸もとい最愛の妻津島花丸の出産予定日を控えたまん丸お腹へポスッと顔を埋めました。
人肌の温もりと適度な弾力性、双方を兼ね備えた至高の聖域。妊娠末期のわずか3ヶ月ほどしかこの至福のひとときを味わえないなんて、とんでもなくプレミアム性が高いわよね。

「んん~っ……この張りのあるお腹とも、もうすぐお別れなのよね~」
「はぁ……善子ちゃんがこんな妊婦さん好きだとは、夢にも思わなかったなぁ」
「『ずっと妊娠しててほしいわ』ってお願いしたら、怒る?」
「……バランスボールで我慢するずら」
「嫌よ」

両腕を伸ばし、胴回り1メートル近くまで膨らんだずら丸のふくよかボディをぎゅっと抱き寄せました。
ほんと、付き合い始めてから十数年経つけど、ほとんどこっちからハグを求めてばかりだわ。「堕天使は孤高なものなのよ!」と気取っていた時期もあったけど、果南や千歌に負けず劣らずの寂しがり屋よね、私も。

「妊娠していないマルは魅力的じゃない、と?」
「そこまでは言ってないでしょ」

出るところは出ていて、引っ込んでいるところは引っ込んだメリハリボディ。確かに妊娠前のずら丸だって全然魅力的だけど、なんていうか圧倒的に「母性」が足りなかったのよね。
ただ一つ、断言できることがあるわ。

「私は別にずら丸の身体『だけ』を好きになったんじゃないわよ。辛い時、苦しい時にいつも傍にいてくれたのがアンタだったから、私は沈み込んでいけたのよ」
「んなっ!? ずっ、ずるいずらぁ……マルだって、善子ちゃんが何度も何度も励ましてくれたから、今のマルになれたっていうのに」

私に倣い、ずら丸が両腕を私の背中へと絡みつかせるのが感じられるわ。
端から見たら馬鹿みたいなのは、重々承知してるつもりよ。
でもね、これが津島夫妻流の朝の挨拶なのよ。
生徒達や教員仲間から慕われる人気者のよっちゃん先生と、萌え4コマ漫画雑誌で人気作を執筆するのっぽぱん先生。
世間から称賛を集める職業に就き、十分過ぎる結果を出せていようとも、私達の心は歪で壊れやすいものだから。
少しの失敗や体調不良でくよくよ落ち込んだり、ちょっと叱られたのをずっと引きずったり。
1人では弱い私達だから、2人して互いを叱咤激励して今日までやってこれたのよ。

「大好きよ、ずら丸。これまでも、そしてこれからも」
「善子ちゃん、もちろんマルもだよ。お母さんになっても、ずっとマルのことよろしくね」

顔をくいっと上げると、臨月お腹の主が顔を下ろしながら瞳を閉じて「んんっ」と唇を突き出してきたわ。
「まったく、アンタだって大概変態じゃないの」と呆れつつも、彼女の口づけを受け入れたの。
私とずら丸の舌がくちょくちょと淫靡な音を立てて、朝の挨拶を交わし合う。
「ぷはぁ」と口を離せば、唾が名残惜しそうに糸を引く。
このまま彼女を180度回転させて本番までしちゃいたくなったけど……まあ、それは夜のお楽しみということで。

ずら丸が妊娠している理由は魔法だとか呪いだとかじゃないし、ましてや宇宙人に寄生されたとかでもないからね。
「百合の芽計画」──小原グループ主導のIPS細胞実用化のための諸計画──の大きな柱として「女性同士で子どもを作る」というのがあり、私達はその被験家族として志願したの。
だからそのお腹の奥で眠る小さな生命は、紛れもなく私とずら丸の愛の結晶なのよ。

◆◆◆

よそ行き用の黒スーツへ着替え、食卓でかなり遅めの朝食タイム。部屋の時計を見れば時刻はもう11時を回っており、「こりゃもうお昼ご飯って感じね」と独りごちたわ。

「悪かったわね、ずら丸。せっかくの休みなのに、こんな時間まで寝てて」
「昨日は飲み会だったんでしょ。むしろ善子ちゃんこそお疲れ様、だよ」
「ほんとにね。みんながみんな飲みニケーションを望んでると思うなっ!」

教員大学時代にも飲み会へ誘われることはしょっちゅうだったけど、少食な上そんなにアルコールに強いとは言い難い身としては。ほんと「みんなと同じ」だとか「和を重んじる」を重視する日本人の悪いところだわ。
テーブルへ向かい合って座り、両手を揃えて「「いただきます」」と食材への感謝の言葉を口にしました。
お茶碗に盛られたふっくらふわふわのご飯と、ほんわか湯気を立てる豆腐とわかめの味噌汁。沢庵の鮮やかな黄色と、焼き鮭の赤茶色の焦げ目がまた食欲をそそるシンプルな和食。でもそこがいいのよね~。

「んん~っ、美味しいずらぁ~」
「自画自賛? ほんと美味しそうに食べるわよね」
「食べられることに感謝だからね」
「まあ、それもそうね」

思い返せば、5ヶ月ほど前までずら丸は悪阻に苦しめられていたのよね。
パンやおにぎりを1口ずつ口に入れていっても、すぐ吐き気に襲われ戻してしまう彼女はいつも苦しげで。その苦痛を一切肩代わりできない自分が悔しくて、「やっぱり『私が産むわ』と押し切るべきだった」と過ぎたことを悔やみまくって。

『マルね、この娘のことを「マル達の魂を喰らう悪霊だ」とまで思ったりもしたんだよ』

悪夢にうなされて深夜に目覚めたずら丸が、私のパジャマの裾を掴みながら漏らした弱音を思い出すわ。

『最低だよね、マルって。鞠莉ちゃんへ「善子ちゃんとの間に子どもが欲しい」ってお願いしたのはマルなのに……「善子ちゃんは今まで通りお仕事頑張ってほしい」って伝えたのもマルなのに……』

マタニティブルーで精神的に不安定な状態が続き、ちょっとしたことで塞ぎ込んだり泣いてしまったり。
外の光がいつまでも見えない、長い長いトンネルの中にいたみたいだったわ。

『この娘を堕ろせば、マルも善子ちゃんももう苦しまなくて済むのかな……って。身勝手だよね。マルの方から求めておいてさ、いざ授かったら嫌になるなんて……』

身も心もボロボロになってゆくずら丸を、そっと抱き寄せ「大丈夫よ。明けない夜は無いわ」と慰めてあげたり。
「この堕天使ヨハネが、黄昏の理解者を襲う不幸は全部背負ってやるわよ!」と高校以来久方ぶりに眠っていた「ヨハネモード」を解禁してみたり。
苦し紛れに道化を演じてみたら、彼女も何とか苦笑いしてくれたのよね。
『やめるずら。むしろ余計に不幸になりそうだから』ってね。
何とか悪阻を乗り越えたずら丸は「一皮剥けた」わね。弱音とか泣き言なんて全然吐かなくなったし、私がふざけた物言いをしても「はいはい」ってやんわりした返事になったし。母親になる覚悟が生まれたから穏やかに、しなやかに生きようと決めたのかしら?
闇から抜けられたずら丸が以前みたく心の底から美味しそうに食事をする姿、こっちも大泣きしちゃうほど嬉しかったわ。ガリガリにやつれていた体型がみるみるうちに元通りになったのも束の間、今度は逆にふっくらお腹が膨らんでゆきました、と。

ついでに嫁自慢を1つしとくわね。
この10ヶ月の間、我らがのっぽぱん大先生は地元の新聞にて連載中の四コマ漫画「だてんしっ!」を1回も欠かすことなく寄稿しました!
天界から追放された堕天使のよっちゃんと、人間の娘のまるちゃんの何気ない日常が描かれている訳だけど……日々の生活で起こったあれこれをネタにしてるのはここだけの秘密よ! 
これを読んだ貴女には守秘義務が生じたわよ、漏洩厳禁だからね!

朝食を終えてスマホを確認すると、今日もまた私が受け持つ4年D組の生徒達や演劇クラブの部員達から無数のメールが届いていたの。

『予定日は来週ですよね? 奥さんが元気な赤ちゃんを産めるのを祈ってます』
『よっちゃん先生も嫁さんも美人だし、きっと絶世の美女に育ちそうですよね!』
『お産に付き添う際、何をするべきかまとめました。参考になれば嬉しいです』
善子「アンタ達ってば……ありがとね、ありがとねっ」

教師の家族のことまでこんなにも心配し、応援してくれる子ども達の優しさ。それを思うと目頭が熱くなり、すぐに涙腺が決壊してしまったわ。

「涙脆くなったよねぇ、善子ちゃんは」
「ずら丸こそ漫画家仲間や協会の人達からお祝いされるたび、わんわん泣いてたじゃないの」
「……マルはいいの」
「じゃあ私も問題ない」

内浦地区の由緒あるお寺に生を受けたずら丸は、現在地元の観光協会の役員でもあるの。同じく由緒ある旅館産まれな千歌も加入しているし、網元となったダイヤや祖父のダイビングショップを継いだ果南を含め、元aqoursのメンバーは沼津の活性化に絶賛貢献中よ!
親交のある人が増えると時に息苦しさを覚えることもあるけど、こうやって特別な出来事が起こった際に色々力になってくれて救われたりもするのよね。紙おむつやベビー服、絵本やぬいぐるみだって部屋の一角を占拠するぐらい山ほど贈られたりもしたし。

「役得ずら。多くの子ども達を育ててきたよっちゃん先生の」
「まだ10年も勤めてないってのに?」
「それでも100人以上は教えてきたでしょ?」
「ま、まあね」
「情けは人のためならず。善子ちゃんがしてきたことが、巡り巡って返ってきたんだよ」

まったく、私の嫁さんはどうしていつも心の内を見透かしたかのような言葉を掛けてくれるのかしら。いやはや彼女にだけは、昔からずっと頭が上がらないものね。

◆◆◆

メールの返信やベビー用品の整理を済ませた私達は、愛しの黒いセダンへ乗り込んで親友達の元を訪ねたの。

「出迎えご苦労であるぞ、神々が定めし摂理へ反逆せし同志達よ!」
「授業中は堕天使出てないよね? よっちゃん先生」
「ちょっと童心に返ってみただけよ!」

1人は薄い水色のワンピースに蒸栗色のカーディガンを羽織ったリリー……もとい高海梨子。彼女のお腹もずら丸同様ぱんぱんに膨らんでおり、子どもがいつ産まれてきてもおかしくなさそうね。

「まあ子ども浜祭りの打ち合わせなんだし、別にいいと思うずら」

リリーの皮肉に対し、すかさずフォローを入れてくれる我が嫁。そんな訳で本日十千万を訪れたのは、4月半ばに開かれる地元のイベントについて話し合うためなのよね。

「お正月以来だけど、花丸ちゃんもすっかりまるまるっと丸くなったよね。梨子ちゃんとお揃いで」
「ほんとにね。リリーも西洋のドラゴンみたくお腹が出ちゃって」

もう1人はグレーのセーターに綿パンというラフな格好の高海千歌。お察しの通り、彼女らこそ「百合の芽計画」へ協力することを決めたもう一組の同性夫婦よ。

『わたし、受けたいです!』
『私、千歌ちゃんの赤ちゃんが欲しい!』

淡島ホテルで行われた説明会にて「人体実験じゃないの!」と非難轟々の空気になった際、このバカップル2人が堂々と宣言したのを思い出したわ。彼女達はいつだってそう、世間様の「普通」へ抵抗し続けられる強さを持った憧れの人達なのよ。何せこの言葉があったからこそ、私とずら丸もリスクを承知で志願しようと決意したんだもの!

「それじゃあ、お邪魔します」
「足元に気を付けなさいよ、ずら丸。転んだら一大事なんだからね。ほら、そこに手すりあるから掴んで」
「ふふっ、心配性なのはよっちゃんも変わらないのね」
「そりゃわたしも善子ちゃんも、梨子ちゃんや花丸ちゃんの苦労がわかってますから。……ちょびっとだけど」

千歌の半ば強引な手引きもあって、私達は4ヶ月ほど前に公民館にて妊娠体験実習を受けたの。
重さ10キロもあるマタニティウェアを着込んで、階段を昇り降りしたり靴を履いたり脱いだり。どれもこれもせり出したお腹が邪魔になり一苦労で、当たり前の日常動作が当たり前に出来ないのがどれほど辛いのかが理解できたわ。
世の中相手の立場に立ってみて、初めてわかることだらけ。結局人間ってヤツは単に想像するだけじゃ駄目で、行動しなくちゃ成長できないものってことよね。

浜祭りの打ち合わせ業務自体は2時間ほどで終了。ずら丸が事前に備品業者へ発送する伝票をまとめておいたのもあり、今日は新しい屋台のデザインを製作するだけで済んだのよ。
その後は4人で茶菓子をつまみながら、高校時代とさして変わらないティータイムを楽しんだわ。
ただ、高海夫妻にはちょっとした悩みがあるみたいで。

「千歌ちゃんってば、梨歌ちゃんへピアノを教えてあげてって言うのよ」
「梨子ちゃんこそ、梨歌へ卓球を教えてあげてって言うクセに」

私やずら丸寄りのインドア派なリリーと、曜や果南の幼馴染みだけあってアウトドア派な千歌。対称的な気質を持つ2人の間で、子育ての方針が対立しているらしいわね。

「私は外を駆け回るのが大好きな、元気いっぱいな娘に育ってほしいのよ」
「わたしは本を読んだり絵を描くのが大好きな、穏やかな娘に育ってほしいんだよ」

交互に子育て方針を主張しつつも、パートナーの意見を否定しようとしないのはさすがよね。伊達に何度も「神様の意地悪」へ抗ってきただけのことはあるじゃないの。

「うーん、やっぱり子どもの主体性を一番に考えるべきよ」
「善子ちゃんに賛成ずら。無理強いされるのって、相当なストレスになると思うなぁ」

子ども達を立派に育て、社会へ送り出す責任を持つ立場としての意見を述べたわ。

「スクールアイドルだってそうでしょ。私達はみんな千歌に誘われて加入したけど、全員が自分の意志で続けてたんだから。そうよね? ずら丸もリリーも」
「もちろんだよ。覚えることがいっぱいあって大変だったけど、キラキラの衣装を着てみんなと一緒に踊るのは楽しかったなぁ」
「私もだよ。千歌ちゃんと2人で作曲するのはもちろん、みんなで身体を動かすのがあんなに心地いいなんて思わなかったもの」

職場で上司から命令されたとか、学校で先生から出された宿題とかみたく、誰1人として義務感でaqoursの活動をしてきた訳じゃない。きっかけはどうあれ、9人全員が充実した日々を過ごせたのは確かなのよ。

「試しにやらせてみて『続けたい』って言ってきたら本格的に教えるようにする。それでいいと思うわ」
「そっか、そうしてみる。ありがとね、善子ちゃん」
「ごめんね、2人とも。大人げないところ見せちゃって」
「いいっての。リリー達と私達の仲じゃない」

誰にも相談せず子どもの教育方針を巡って言い争いを続け、破局に至った夫婦なんてごまんといるのよ。それを思えば困った時は知人へ助言を仰ぎ、柔軟に考えを改めてゆける2人は立派なものだわ。
人は1人では生きてゆけない。産まれたての赤ん坊や足腰が弱くなった高齢者だけでなく、働き盛りの大人だって変わらない。
嬉しいことは倍にして、悲しいことは半分こ。何万年もの間繰り返されてきた人の営みはこれからも続いてゆくのだ。

◆◆◆

楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、腕時計がピピッと夕方5時半をお知らせしたの。実は今日は私とずら丸の結婚記念日でもあるから、多少お値段が張ったレストランで贅沢しようって決めてたのよ。

「今日はお疲れ様。子どもが産まれてもよろしくね」
「ううっ、梨歌に逢えるのは楽しみだけど……もう梨子ちゃんの妊婦姿も見納めかぁ」
「もうっ、よっちゃんと花丸ちゃんがいる前で言わないのっ!」

嫌ってほどわかるわ、千歌のその悲痛の思いは。
……っていうかリリーも顔が夕日に負けないぐらい真っ赤だし、彼女を叱りつける声の中に照れ臭さが混じっているし。案外ベッドの上では、この時期にしかやれない諸々を満喫していたりするのかもね。

西陽によってオレンジ色に照らされた海岸通りをドライブしていると、スクールアイドル時代の思い出が次々と蘇ってくる。
練習着姿で毎日5キロ以上もランニングしたり、夏合宿で体幹運動をしてヘロヘロになったり。東京からの帰りに寄った砂浜で新しいスタートを誓ったり、母校たる浦の星女学院の統廃合が確定し絶望の淵に沈んだり。
印象に残る思い出を辿ってみれば決していいことばかりじゃなく、嫌なことや辛いこともたくさん経験してきたのよね。だけどそれら一つ一つが気付きを与え、どんな出来事も積極的に楽しんでゆける私へ変われたかけがえのない思い出よ。
そして私はいつしか、常に隣で私が暴走し過ぎないよう見守ってくれたずら丸へ恋をしていたの。彼女が傍にいてくれるから、私は安心して「堕天使ヨハネ」を貫き続けることができたのだから。

「ありがとね、善子ちゃん。いつもマルの背中を押してくれて」

助手席に座るずら丸が唐突に感謝の言葉を口にしたので「何よ、藪から棒に」とやんわり尋ねたの。

「挫けそうになるたびに善子ちゃんが『立ち上がりなさい』『ずら丸ならやれるわ』って喝を入れてくれなかったら、今のマルはいなかったから」
「どういたしまして」
「マルはもっと色んなことへ挑戦してゆくよ。お母さんになったからって、何かを諦めなくちゃって決まりはないんだから」

1歩引いた場所で友達を遠巻きに眺めているばかりで、自分からはなかなか動こうとしない。言っちゃ悪いけど昔の臆病で慎重過ぎな彼女は、もうどこにもいないわ。
勇気を出して1歩踏み出せば、人はいくらでも変わってゆける。ずら丸の存在もまた、きっちりそれを証明してるんじゃないかしら。

「そう、じゃあ私も負けてはいられないわね」
「何を始めるつもり?」
「気の向くままに何個か試して、自分に合ったものを」
「ふふっ、何でも試してみるずら」

小学校で先生をやっているとそうそう自分の時間が取れなくて、長らく新しい趣味を始めたりなんてしてこないでいたのよね。
でも花善が産まれて3人家族になったら、娘とスキンシップを図るためにも何か試してみようかしら。

友達、恋人、同僚、師弟、夫婦、親子。人と人との繋がりの形は色々あって、それぞれを尊重しながら人は各々の人生を営んでいる。
私と彼女の繋がりもまた不変的なものではなく、娘の誕生によって劇的な変化が起こるのは間違いなさそうね。
だとしても、私達は共に手を取り合いながら生きてゆく。
二人三脚から三人四脚の未来には何が待っているのか、せっかくなら全部を楽しむつもりでいきましょっか。

「この世はいい所よ、花善。私とずら丸が待ってるからね」

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